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【麻酔医時代の遺産?】
 
麻酔医時代に身につけた習慣には、現在のY.Matsumoto氏の仕事に役立っているものがあります。
 
●時間・スケジュールはきっちりと守る
 『麻酔医は病院の中の救急車』。院内で容態の急変した患者さんが出た場合、呼び出しを受けてから3分以内に駆けつける義務があるそうです。つまり、麻酔医の対応スピードが患者さんの生命に関わる場合もあるのです。そのためY.Matsumoto氏は、常に所在場所を連絡し、時間・スケジュールを厳守するなど患者さんや他のドクター、ナースに一切の迷惑がかからないよう注意することを心がけていました。もちろん、麻酔医時代は無遅刻・無欠勤(1日だけ雪による渋滞で5分だけ遅刻したことを除いて) 。その習慣は現在も続いています。
 
●物事は急ぐものから片づける
 麻酔医ということで、急な呼び出しは他のドクターに比べるとダントツに多かったそうです(通常、どの病院も麻酔医の数が少ない)。この経験から、不測の事態に備えて急ぐものから最優先に対処する現在の習慣が身に付いたといいます。
 
 ある年の大晦日の夜、1分1秒を争うような急患の連絡がY.Matsumoto氏のもとに。しかし、窓の外は、かなりの大雪でタクシーも走っていない、交通機関を利用していては間に合わない…Y.Matsumoto氏はもう自分で運転していくしか方法はないと判断。急いで飛び出したものの、路面はテカテカに光るぐらいに凍結! スリップ事故を起こしてもおかしくない状況だったのです。その時、頭をよぎったのは患者さんの命か自分の車のスリップ事故かという究極の二者択一……。何とか無事にたどり着き、患者さんの命も助かりました。
 
●半閉鎖弁
 Y.Matsumoto氏は麻酔をかける機械を工夫して(半閉鎖弁)、日本臨床麻酔学会の本に取り上げられたことがあります。 既製のものは小さなお子さんには使いにくかったため、送り込む空気の量を微妙な加減で調節できるように改良したのです。そのために空いている手術室を利用し、繰り返し試作品を作製しました。当時は、歩いていてもトイレに入っていても、どうすればよいかそのことばかり考えていたとか。
 
●「始めよう ヘルスプロモーション」執筆

 毎日中学生新聞の「始めよう ヘルスプロモーション」の連載記事を1999年(平成11年)11月8日掲載[第9回]から2000年(平成12年)3月27日掲載[第21回]の13回にわたり執筆。医療に携わった経験を生かし、またスポーツドクター(日本医師会認定)としての見地から、心を含めた健康についてのアドバイスを、経験談も盛り込んで執筆されました。2001年度も原稿の依頼を受け、今回は『始めよう ヘルスプロモーション「ドクター松本の健康日記」』として再開、2001年(平成13年)3月2日 掲載[第29回]から現在(2001年4月)も引き続き執筆中です。

 
●腕まくりをする癖
 Y.Matsumoto氏には無意識のうちにやってしまう癖があります。そのうちの一つが『腕まくり』。半袖のドクター服に永年親しんでいたことから、デスクワークの際に袖口が非常に気になってしまうからだそうです(他にも理由はあるとのことですが)。
 
【研究・経験】
 針を使うとき、針の先は体内にあるため、先端がどこにあるかは見ることができません。では、どうやって正確な位置にあるかどうかを知るのでしょうか。Y.Matsumoto氏は、手のひらに伝わってくる針先の抵抗を感じとることで察知したそうです。また麻酔注射の前に患者さんの容態、その他(血圧・脈拍等)を見て、その状態に応じた判断・対処をすることも必要となります。これらができるようになったのは、一例でも多く対処しようと率先して多くの症例を経験したお陰だそうです。
県病院での勤務を経て、土谷病院時代には麻酔を必要とする患者さんの2/3を任されるようになったY.Matsumoto氏。それは「今でも尊敬している当時の先輩達の医療への取り組み方や技術を見て勉強させてもらったお陰」だといわれます。


【麻酔医時代の遺産?】 【研究・経験】
【麻酔医】 【生きざま】 【目標(欲)】